2064.06.21

臨終の近傍

100歳の誕生日。
たぶんこの辺りが私の臨終の近傍。

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2008.10.03

折り返し地点

散らかしてきたものを少しずつ片付ける。
まずは雑誌のバックナンバー。
俳句や短歌の月刊誌は、月々の表紙を見ているだけでも季節感が楽しい。
外に出て、なにか新しいことの一つもしたくなる。
これから人生を片付けていくところなのに。

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2008.02.10

大文字駅伝の思い出

コブタと一緒に大文字駅伝の応援に行った。
あれから1年。なにもかもが懐かしい。

先ず、地下鉄に乗って北山通りまで行き、3区の応援。
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コブタと私の大文字駅伝は、2年前の3区の応援から
始まった。
当時、コブタはランニング部にすら入っていなかった
が、私が本部役員の応援要員として北山に出向いた。
本大会への出場自体その年が初めてだったから、
「PTAとしての応援体制を整える」という仕事が
本部の年間活動計画に飛び入りした形だった。

せっかく応援に行ったのだからと、その日の夜、
駅伝のテレビ放送を見ていた。ローカル番組なので、
沿道の知ってる顔がちらちらと映ったりもする。
横で一緒に見ていたコブタは、沿道の知った顔が
映ってることよりも、学年が一つ上の先輩たちが、
このような大会に参加していたことに大いなる
憧れを抱いたらしい。
「来年、私も出たいな」

これは、6年生が学年で10名だけ選ばれるものだ。
しかも、各支部予選があり、どの学校でも出られる
わけじゃない。ランニング部に入っていないどころか、
普段はジョギングすらしたことのないコブタにとって、
それは実現するはずのない夢のつぶやきだと、私は
思っていた。

それが、4月になってランニング部に入り、
めきめきと実力をつけ、選手に選ばれ、予選も
ダントツの一位で通過して、アンカーの十区を
任されたのが一年前のこと。

52校中7位入賞という快挙を遂げ、コブタの大文字
駅伝は華々しく終わったはずだった。
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こうしてOBとして応援に行くと、いろいろな思い出を
順にたどることができる。コブタが出た年の駅伝は過去の
ことだけれども、「来年、私も出たいな」と言ったとき
から何かが始まって、それがいまでもずっと続いている
ような気がする。

さて、3区の走者を見送った後、急いで地下鉄に乗り、
丸太町へ。
ゴール地点へ行くルートは、東山から少し上がる方が
歩く距離が少ないのかもしれない。けれども、丸太町を
過ぎた第9中継所から冷泉通りへの10区のコースを、
できればたどりたかった。

けっきょくは列車待ちの時間などもあり、烏丸から
東山は馬鹿にならない距離で、人混みの丸太町通りを
避けて夷川通りを抜け、川端二条に出た。
信号待ちに阻まれながらようやく東山通りを越え、
そのまま二条橋まで行くと、北側の冷泉橋を選手が
走っているのが見える。
急いで京都会館西側を通り抜け、冷泉橋を渡ってくる
我が小学校の選手に声援を送ることができた。コブタは、
走りながら岡崎公園の手前まで選手を見届けたらしい。
冷泉橋で声をかけ走って岡崎公園まで見送るルートは、
昨年、私がコブタを応援していたときと同じだった。

すべてのチームがゴールすると、選手たちが次々と
閉会式場の京都会館に集結してくる。
1区、2区など遠方を走った選手は、バスに乗って
やってくる。
大会の朝は、このバスに乗って選手たちはそれぞれの
中継点に向かったのだ。
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昨年は、京都会館から第9中継所の鴨川河畔に向かう
バスを、私も見送った。

京都会館から出てきてバスに乗り込むコブタ。いよいよ
バスが出ようとするとき、なぜか、火葬炉に入っていく
父を見送ったときと同じ気持ちがした。
そう感じたことが不謹慎なのではなく、むしろ火葬と
いうものが、魂の出発だったのかもしれない。

*この記事は、合併&ブログサービス終了を控えた
 「関西どっとコム」から移してきたものです。

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2007.02.16

とんでもない夢を見た 

そこは小学校の一角。
災害で亡くなった人の遺体がいくつも
展示してあり、私は、展示ケースの掃除を
していた。

一番手前の女性は、土砂崩れの被害者か。
土砂ごと逆さまにもんどり打った形で
こちらを恨めしそうに見つめている。
少し浅黒い、東南アジアに多いような
顔立ちだ。

頭のすぐ手前の泥をぞうきんで拭き取った
とき、少し遺体に触れてしまったのか。
突然、その遺体がむくむくと動き出した。
大急ぎで、教頭に知らせに行く私。

教頭を連れて現場に駆け戻ったときには、
女性は「あ~あよく寝た」みたいな感じで
一つ、のびをして、展示ケースから出して
もらった途端、喜んで飛び上がりながら
帰って行った。
(どこへ?)

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2006.07.06

猫の埋葬 

コブタが「いってきます」と家を出て10分ほど経って
いた。表から「かわいそう」「子猫やなぁ」という騒ぎ
が聞こえる。
まさかの予感的中。懇意にしている野良猫で、この春生
まれたばかりの小さいのが、通りゆく人々の視線を浴び
ながら、道の真ん中でつぶれていた。まだなま暖かいけ
れど、どう考えてももはや肉塊である。

ここは小学生や中学生がよく通る道。すぐ近くには幼稚
園もある。そそくさと亡骸を引き取り、道を洗い流し、
庭に穴を掘った。

猫の埋葬は、これで何回目かなぁ。人の目に触れないと
ころで淘汰されていく野良猫のポリシーも、人の多い町
では押し通すことがむずかしい。

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2006.01.03

正月の実家

子どもたちを連れて実家へ行くのは、花火大会以来か。

父がいなくなってからは、母との会話はまるで発掘作業
のようだ。目新しいものはたいしてなく、昔話と、父の
死はあれで幸せだったのだという納得話。
これからのことといえば、自分が死んだらこうしてくれ、
みたいな話。

それでも、生きている母の顔を見られるのはいまのうち
なのだと思う。

正月は、食べる人がいないからあまり作らなかったとい
いながら、重箱一段分のお節料理を見せてくれた。黒豆
に栗、ごぼう、数の子、こんにゃく……。私よりもよほ
どちゃんと詰めてある。
この家に限らず、いまはお年寄りの一人暮らしや年寄り
夫婦だけの年越しが増えているはずだ。お正月を楽しみ
にする人が居なくなった家では、正月準備のやり甲斐も
半減だろう。

子どもらがせがむので、4人で何度かトランプの七並べ
をした。こんな他愛のないゲームでも、3世代で盛り上
がってることに、ひそかに感謝。

年末年始に弟がニューカレドニアへ行ってきたといって、
チョコレートのお土産をくれた。
あちらにもネコがいたとか、ロシアンブルーのような色
だったとか、ヘビがたくさんいたが、ネコはじゃれるこ
ともなかったとか、そういう感想だった。

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2005.08.10

初盆 

初盆の回向があるので宇治へ。さすがに初盆だけあって、
仏壇は例年よりもかなり豪華に飾られている。

叔母が尋ねてきたら渡すことになってるのだと、戦死し
た祖父の絵を見せられる。見事な絵ではあるけれど、そ
こに祖父の思い出とかそういうものがあるわけでもない。

夜は宇治川花火大会。父が支えてもらいながらようやく
のことテラスに上がり、みんなで眺めた花火大会は、も
はや一昨年のことになった。
あのとき、これが最後になるかもという不吉な予感はあっ
た。そして、実際にそうだった。

元気なときは、花火などちらっと見るぐらいで、あとは
一人で下に降りてビールでも煽ってる方が好きだった父。
最後の花火大会は、小一時間、みんなと一緒におとなし
く見ていた。

そんな思い出が私にはあるのに、父にとってはそんなも
の、なにも残っていないということだろうか。

本日の回向も、まるでその事実を強く知らしめるための
ようだ。

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2005.06.20

父の日そして一回忌

一昨日は実家の父の誕生日だった。
そして、昨日は父のために総勢4名が集まった。

たった4名のくせに、木魚を叩くタイミングが
ぽこぽことずれて、なんともまぬけ。
しかも、木魚はマンボウになんとなく似てる。

仏壇の前に立てられた遺影はまるで悪い冗談だ。
ちょいと父に言いつけてやろう。と雖も、その
父が写真の主なれば、紙切れにもの申しても仕方
なし。

なにしろ仏教の世界。お経とは宇宙のことを朗々と
語っているようである。
肉体が地球に還元される一方で、霊は次元のはるか
彼方にあるらしい。

法事とは、故人をむしろ遠くに感ずるものなり。

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2005.01.01

喪中正月 

普段から正月らしいことはそれほどしない方だったが、
喪中となると、ますますこの日をどう過ごしてよいのか
わからない。「おめでとう」は言えないが、お雑煮ぐら
いは食べるし、甥姪子どもにはお年玉も与える。

喪中といえども、「おめでとうございます」と言わねば
ならないTPOだってある。それだから余計に、こうし
て一人でいるときは、ひたすら喪に服そうという気分に
なる。

もう、あれから半年も過ぎてるし、父の死を知っている
人はそもそも少ないし、「そんな固いこと」と思われる
かもしれない。周りが「おめでとう!」と盛り上がって
いる雰囲気の中で、喪中など主張せず、みんなと合わせ
ていればよいじゃないか、と思う向きもあるだろう。

けれども、一人で正月を過ごしている母のことを思うと、
割り切ることもできない。それは不器用なことか。
父のためにひたすら喪に服すことができるのは、母と弟
と私の三人のみ。だから、できることなら、せっかくお
めでた気分の人々を、いまは避けていたい気すらする。

父の想い出はいろいろあるが、なかでも年末年始にまつ
わるものが、けっこうな割合である。サラリーマンの家
庭では、家族がゆっくり顔を合わせる機会は盆正月ぐら
いだから、どこでもそういうものなのだろう。
*この記事は、合併&ブログサービス終了を控えた
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2004.12.30

暮れの錦市場

父の月命日。あれからもう、半年。

京阪の駅までは、錦市場を通って行った。さすが歳の暮
れ。流れにそって進むしかない大賑わい。
スーパーがカートで混雑してるのは苦手だが、賑わう市
場はおもしろい。

小さい頃、私も歳の暮れに家族で来たことがあった。
父と母と私。

父は、自分も幼い頃、年末になると母親に連れられたと
話していた。
「”千円も買うた”て、ぼくの母親が言うてた。いまは
ちょっと買うだけで一万円ぐらいすぐなくなるけど、昔
は千円でようけ買えたんや」
赤紙が来て祖父が戦争に行ったあと、祖母は女手一つで
父とその妹を育てて早死にした。
祖母と叔母と父。

そしていま、コブタとおさると私。
コブタやおさるも、そのうち新しい家族の三人で手をつ
ないで、この市場に来ることがあるだろうか。

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